

こんにちは。エンジニアの村上です。
以前のブログで、映画のスピーチシーンを取り上げて「人の心を動かす言葉」について書いたことがありました。
今回は、その“言葉”つながりで、小野不由美さん著書の『十二国記』という小説についてお話ししたいと思います。
学生のころ夢中で読んでいたこの作品を、最近ふと思い出して読み返してみたところ、当時とはまったく違う受け取り方をしている自分に気づきました。
社会人として働く今だからこそ、「あの頃は通り過ぎていた言葉」が不思議と胸に残ったのだと思います。
まず最初に、『十二国記』という作品を簡単に説明すると、古代中国風の異世界にある12の国を舞台に、日本から流された人々やその世界の住人たちの過酷な運命と成長を描いた壮大なファンタジー小説シリーズです。
麒麟という神獣が天の意思を受けて王を選ぶというユニークな設定が特徴で、様々な登場人物たちの葛藤や決断が、緻密に作り込まれた世界設定の中で展開されます。
ただこの作品の魅力は設定の壮大さだけではなく、
壮大なファンタジーの中にありながら、心の描写がとても現実的で響く名言がとても多いことが挙げられます。
今回は数多い名言の中で特に私の心に響いた名言をいくつかご紹介できればと思います。
「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしのなにが傷つくわけでもない。裏切って卑怯者になるよりずっといい」
追いつめられて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか。
月の影 影の海〈下〉 小野不由美より。
このセリフは、現代の日本から異世界に迷い込んだ主人公・陽子が、幾度も人に裏切られ、信じることに疲れ果てて、自分も誰かを裏切りそうになってしまった時に出てくる言葉です。
最初は誰のことも信じられず、疑いながら生き延びようとしていた彼女が、やがて「信じることは自分の選択であって、相手の行動とは関係ない」と気づく場面でもあります。
この一節を読んだとき、私自身も少しドキッとしました。
仕事の中でも、思い通りにならない場面や誤解が生まれることがあります。
そんな時、「自分が誠実に向き合うこと」そのものがすでに正しい選択なんだと思えたら、少し心が軽くなる気がします。
誰かに裏切られることより、自分の信念を曲げてしまうことのほうがずっと苦しい――
この言葉は、そんな大切なことを思い出させてくれるような気がします。
真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、自然に頭が下がるものだ。
礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るものではないだろう。
礼の名の下に他者に礼拝を押しつけることは、他者の頭に足を載せて地になすりつける行為のように感じる。
風の万里 黎明の空 小野不由美より。
この言葉も印象に残っています。
礼儀正しくすることは当たり前ですが、その形ばかりを気にしてしまうこともあります。
この一節を読んだとき、「ああ、礼儀って本来“心が先”なんだな」と思いました。
仕事でも、挨拶やメールの文面など「形」ばかり整えることに意識が向くことがあります。
でも、本当に大切なのは“相手に対する敬意や感謝を持つこと”。
それさえあれば、自然と態度や言葉にも現れる。
そんな当たり前のことを、改めて思い出させてくれる言葉でした。
「人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。
他者に虐げられても屈することない心、災厄に襲われても挫けることのない心、
不正があれば糺すことを恐れず、豹虎に媚びず、ー私は慶のためにそんな不羈の民になってほしい。
己という領土を収める唯一無二の君主に」
「その証として、伏礼を廃す。ーこれをもって初勅とする」風の万里 黎明の空 小野不由美より。
この言葉は、王となった陽子が民に語りかける場面の一節です。
“自分の人生を自分の意思で選び取る”という強いメッセージが込められています。
社会に出て働くようになると、誰かの指示や期待に応えようとする場面が増えます。
でも最終的にどう行動するかは、自分が決めること。
「自分の心を他人に委ねない」というこの言葉は、仕事をするうえでも大切な姿勢だと感じました。
改めて読み返してみると、『十二国記』の中にはアドラー心理学にも通じる考え方が多いと感じました。
たとえば「裏切られてもいい」という言葉は、他者の行動と自分の選択を切り離す“課題の分離”に近い考え方ですし、「人は誰の奴隷でもない」という一節には、“自分の人生を自分で選ぶ勇気”が込められているように感じます。
うまくいかない日もありますが、こうした言葉を心の中の“指針”として持っておくことで、少しずつでも自分をぶれずに立て直せるようになる気がするので、これからも、そうした言葉を大切にしながら、少しずつでも前向きに成長していければと思います。